2018-09-30

研究

論文を読んでいると焦る。
世界のレベルがすごく高くて、スピードもレベルも全く追い付いていない。

今の分野が、強豪ラボが集う分野でもあるけれど、自分たちの研究の薄さを実感するし、世で実際に必要とされているところに全く達していないというのが、またつらい。

博士課程のころにも感じたけれど、やはり学校にありがちな”頑張ればそれでOK”というは研究分野や成果で勝負するような仕事では無意味で、最終的なゴールにできるだけ早く到達できたかどうかが重要なんだなとしみじみ実感。
 今は目指したい場所があって、そこを目指してスタートしていたつもりだけれど、そのスタートにも立てていないような感覚。

何かを知れば知るほど自分の無知を認識せざるを得ないように、周りの世界が見えてくると今いる場所がすごくかけ離れていることが身にしみてわかる。

本気であるターゲットの構造を解きたいと思ったら解けるところに行くのがいいのか?
役に立つ研究をしたいと思ったら、実際にできているラボに行くのがいいのか?

悩むことなんて毎日たくさんあるけれど、色々な事を考えても仕方ない。
もちろん、大きなものを目指すのもいいけれど、今、この場所で今の自分にできるところで頑張るしかないんだよね。

これまで数年の研究が無駄にならないように、そして今の努力が無駄にならないように、小さくても成果を残したい。そしたら、どこかで次のチャンスに巡り合えるだろうか?

そう信じて頑張ろう!

雨上がりの東京。 #Ginza #Tokyo


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2018-06-12

歳を重ねる

子供のころは、”歳を取る”=”成長”で多くの人にとっては喜ばしいことだけれど、ある時から”歳を取る”=”できなくなる”に変わっていくみたいだと、親を見ていると感じることがある。

いくつになっても、学ぶことは多くて、何かに、そしてどこかに到達した気がしない・・・と思うのは精神面であって、体力的には20代も半ばからすでに衰えは始まっていると聞いたことがある。実際にそうなんだろうと、頭ではわかっていても、実感するには時間がかかるもの。ただ、少しの”できない”なら、まだ気にしないのかもしれないけれど、定年も過ぎてくると、きっと話は別なんじゃないなと思った。なぜなら、物理的に何かできなくなっていくことが増えていくから。例えば、若いころは怪我をして歩けないのは、数週間~数か月で期間限定。一方、加齢で症状が出たと言われればその症状はこの先ずっと続く。

”歳を取る”=”できないことが少しづつ増えていく”って考えたら、やはりショックなんだと思った。今の自分には、共感しかできないけれど、親が感じるように考えて実際に想像してみたら、変えられない現実にちょっと悲観的になってしまう気持ちもよく理解できる。

それでも、私は、一度きりの人生だから楽しんでほしいと思う。
できないことが増えていっても、何か一つでもできることを見つけて楽しんでほしいと思う。できないことに目を向けるよりも、できることを探してほしい。

言葉で言うのはとても簡単だけれど、実際に実行するのは難しいに違いない。それを分かったうえで、親にどう伝えてあげたらいいかわからず、しっくりくる言葉が見つからない。自分だったらこうするという考えをぶつけるのではなく、寄り添ってあげられる言葉をかけてあげたいし、一緒に楽しみを見つけてあげたいと感じる。

一生の間で親に会える機会は数えるほどしか残されていないと、ある先生に教わった。
私の場合、ほとんど帰省もしないので、一般的な”数”と比べるともっと少ないんだと思う。だからこそ、こういうささやかな機会を、少しの時間を、そして貴重な数日を大切にしたい。頭で考えても、何がベストかなんて結局変わらないし、答えさえないものも多い。けれど、できないことや思いつかないことで悩むより、何かに気付いた瞬間に、今の自分にできることをしたらいいのかも。

身近な”親”という存在を通して、改めて多くの似たような人たちが周りに沢山いるんだと気づかされる。電車で席を譲ってあげたり、階段で手伝ってあげたり・・・そういう小さなことが、きっと彼らの時間をもっと楽にかつ楽しいものにできるかもしれないと思ったら、積極的に手助けしてあげたい。

Do my best!!
後悔しない明日を迎えられますように!