2014-03-11

震災から3年 ~今思うこと~

震災から3年.

改めて思う.3年とは長いようであっという間の3年だと.

3年前のこの日,私はアメリカで仕事をしていた.
早朝の会社で実験データの確認をしようとしていたら,通りかかった仲間に,
”日本が大変なことになっている.ニュース見た?”
と聞かれあわててチェック.三陸沖で大きな地震.津波で壊滅的の文字が並ぶ.
ふと,祖母を思い出す.3月10日は私の大好きだった祖母の誕生日.私が日本を出発して間もなく,肺がんで亡くなった祖母.科学を学ぶ私は,科学的に証明されないものの多くを信じないけれど,この時ばかりは,思った.祖母が,守ってくれたのかも・・・と.

地震の後.母に連絡するけど,もちろん,連絡はとれず.
うちの実家は,内陸なので,津波の心配はないけれど,結構揺れているとの情報.
地震に慣れっこな実家だけれど,それでも大きな地震が立て続けに起こっているんだから,無事は確認しておかないと....

ニュースでは,宮城・福島の津波の映像が繰り返し流れるだけで,実家岩手の情報なんて皆無.
でも,冷静にニュースを見る自分.まるで別の世界で起こっていることのようで,実感がわかない.

数日後,母から連絡があり,うちの母らしく”地震なんて来るときには来るのよ.ここは大丈夫よ”との言葉.でも,余震がかなりあり,家の中は結構すごいことになっていたらしい.しばらく片づけないのと言いきっていた母を思い出す.本当に強い人だと感じた.

帰国後,東京にいた友人から,会社に寝泊まりしたこと,帰宅するのも一苦労だったこと,コンビニには何もものがなくなってしまってすごい不安だったことを聞いた.液状化で浦安付近の会社の知り合いも,大変な1ヶ月を送っていたらしい.


おおくの人に会い,当時の話を沢山聞いたし写真も見せてもらった.もちろん,ニュースでも沢山の情報を見た.でも,当時の私も今の私も,やっぱり全く実感がわかない.

ただ,”風の電話”の記事を読んだとき,そこに住む人たちの悲しさが伝わってきた.そして,研究室の後輩の実家が,津波で流された話を聞き.言葉が出てこなかった.ちょうどその後輩は,少し前に母を急に亡くしており,思い出が詰まった家だったのだろうと思うと,涙があふれた.会いたい人に会えなくなってしまった人が,そこには沢山いるのだと改めて実感した.

人ごとのように入ってくる震災の情報.
どんなに話を聞いても,やはり,それを見て体験した人たちの気持ちを理解することは難しいと思う.ただ,3年たった今,少しずつ,身にしみるように分かってきたことがある.それは,どんなに長い時間が経とうとも,震災にあった人たちの悲しみは心のどこかに残っており,消えることはないのだと.そして,なくなったものは戻ってこないし,失った時間も取り戻せないのだと.
でも,前を向いて進んでいくことはできるからこそ,当時つらい思いをした人たちが,心に秘めるそれぞれの想いを胸に,前を向いて歩き始めているのだと思った.

確かに,物理的な”復興”のみならず精神的な”復興”を含めた大きな意味での”復興”に時間はかかるだろう.何せ,なくしたものが大きすぎる.ただ,そこに強さも感じる. 前向きに生きていく強さ.

先日,中学時代の担任の先生が,教育を通して復興事業に関わっていることを知った.復興とは,悲しい現実と向き合わなければならないけれど,ここでちゃんと向き合えたかどうかは,その後の将来にも大きく影響してくるような気がした.だからこそ,その先生はい活動をしているなと心から思うと共に,まだ自分の目で見たことがない震災後の沿岸部を,自分の目で見てみたいと強く思った.

cf
風の電話 http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105120083.html

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