2003-08-30

不調

ここ最近,体調は不調そのもの.
いったいどこに原因があるのか・・・・

一昨日,必死の思いで大学まで出かけた.
午後になり,ようやく活動できそうなところまで来たがやはり早めに帰宅.今日,レポートを書くということで大学は休んだものの,起き上がって活動を開始したのは22時近く・・・・

体はだるく,頭も働かない.
体も動かないし,起きていようとも何もしていないに等しい自分.

やりたくてもできない自分に怒りを覚え,腹が立つ.
いくら寝ても回復しないこの体に,憤りを覚える.

今日もすでに朝がきてしまった.
すでに一日は始まろうとしているのである.

寝ようと思うと寝られない.
起きようと思っても起きられない.

こんなことってあるだろうか・・・・

2003-08-25

一週間の始まり

今日から、再び一週間が始まる。

昨日は、久々にゆっくり寝ることができた。そんなのって、何日ぶりだろう・・・
そして、午後には、クラシックを聞きにサントリーホールへ。
結構昔からクラシックは好きで、聞いていたので、最近はコンサートに出かけるようにしている。やはり、生で聞ける音楽は、生きていてすばらしい。
新しい息吹を吹き込まれたかのようで、とても、心に響き渡った。

疲れはあまり取れないが、それでも今週一週間を頑張ろうと思える自分が今ここにいる。

このもうまもなく終わってしまいそうな夏空のもと、一週間がすでに時を刻みはじめている。

出遅れないように、一日をスタートさせよう。

2003-08-23

America行き

今週の月曜日までさかのぼる・・・

レポート提出の関係で、埼玉に戻っていた。
朝からやり始め、夕方ようやく完成。頼まれていた友人のものと一緒に提出しに教授室に向かった。

久々に会ったのも関わらず、教授は、慢心の笑みで私を迎えてくれた。もちろん目的は、レポートを提出することのみだったが、先生から色々と話しかけてきてくれた。

最近の調子を聞かれ、まだ医学部に行きたいのか、これからどうするのか、今の研究はどうか、そして最近の出来事など話は多方面にわたった。

そのなかで出てきたのが、これからの進路の話。
先生は、私に留学を勧めるのである。

私も関心がないわけではなく、いつかは行くつもりだった。
でも、それを今の時期に進められるとは思ってもいなかった。

以前、留学したとき私は日本とか学校とか、色々なものに不満だった。だからこそ、外に出たいと思っていた、でも、今は違う。日本も好きだし、日本人である 自分も好きである。でも外に出たいと感じる。むしろ、そこが私に適した空間だと思うのである。生活空間としても、社会空間としても。

高校で留学したとき、私は明らかに英語力が無く、それを克服する目的で出発した。英語力は無かったが、でも、不安は一つも無かった。むしろ、開放感に満たされていたのかもしれない。
アメリカでの1年間の生活は、大変だったが、それ以上に楽しく充実していた。
これぞ私が“望んでいた空間”だと感じた。
日本にいるとき以上に、ストレスの少ない社会だったのである。

憧れではない。居場所そのものだった。

だからこそ、先生から留学の話が出たときは、驚きもしたし納得もした。
そして、先生はこうも言っていた。
“今ぐらい、色んな事ができる瞬間-とき-はない。やろうとすれば、何だってできる。世界のさまざまな場所を見るのもいい。いろんな人に接するのも重要だ・・・・
お金の問題もあるだろう。そしてさまざまな不安もあるだろう。でも、本気でやるならそんなものは何の問題でもない・・・
勉強にしてもそうだ。今は、いろんな分野の学習ができる時期でもある。だから今の時間を有意義に使いなさい・・・・”
と。何ができて何ができないか。それは自分次第である。

私の人生、進路で悩んでいる今日この頃。
先生の、暖かい眼差しといつでも応援してくれるその姿、そして沢山のアドバイス・・・
これがどれだけ私を勇気付けたことか・・・

私の心に大きな期待が生まれた瞬間であった

2003-08-17

居場所 part2

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その一方で、第三者としてその様子を眺めている自分もここにいる。

今回の同窓会中、私は東大で実験をしていた。そうしなければならなかったのではなく、自らそうしたし、むしろその道を選んだと言ったほうが正しいのかもしれない。

いつもそうである。どこかに輪があっても絶対に入らない、むしろ入ろうとしない・・・参加したい気持ちもどこかにあるのに、参加しない。

そんなに自分に自信がないのか、それとも、他に理由があるのか・・・

何かに向かおうとしているのに実は向かいたくない自分
物事に参加すると決めたことに後悔する自分
どんな空間にいても孤独を感じ、輪の中に入り孤独から抜け出したいのに、そんな孤独から抜けようとせず、そこにい続ける自分

私は、居場所としての空間を孤独の中に求めてしまっているのかもしれない。周りにヒトがいようとも、自分は孤立した空間に存在している。たくさんのヒトのところからは早く出ようとする。ヒトがいる空間が落ち着かない。独りになったときの、精神的安堵感・・・
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同窓会の前に、私にメールをくれた人がいた。行くかどうか迷っていて私に探りを入れてきたのだった。
私はその人に
ぜひ行ったほうがいいよ!
と勧めた。でも、これは本心からの言葉である。心から参加したほうがいいと感じていた。懐かしいメンバーに会えるし、みんな変わっててそれを見られることにドキドキしていた。だからこそ、勧めたのだ。

会が終わってから、そのこがHPに書き込みをしていた。
とっても楽しかった!!
と。私は、とっても嬉しかった。その子の慢心の笑みが思い浮かぶくらい嬉しかった・・・・

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昔から孤独だった・・・・
今も、これからも孤独なのかもしれない・・・・

居場所

自分の存在は、何によって決められるのか
自分の存在は、何によって確認できるのか

自分が存在するとはいったいどういうことか
自分の存在が他者によって認識されるのはどんなときか
自分が他者によって認識されていることに気づくのはどんなときか

人間の存在は、いったい何なのか
自分が有名になろうとするとき、それは何のためなのか
自分が名声を高めようとするとき、それは自分自身のどんな作用によるものなのか

私自身、自分の存在を確認したくて仕方ないのかもしれない
ヒトから認識されることによって自己を確認したいのかもしれない

人生の最終地点において、それまでの過程における名声や名誉など何の足しにもならない.なぜなら、そこには自分自身の存在しかないから・・・
それなのに、ヒトは存在感を求め続ける

ヒトは生まれたその瞬間から、死に向かって歩き出す
その過程において、ヒトは多くの他者と交わる
どれだけ、その過程において自分の存在を示したとしても最後は独りなのに・・・
最期に残るものは何なのか
最期の最後まで自分の存在を確認してくれるのは誰なのか

自分の人生をそこまで考えたとき、最後に残るのは
愛-love-
のような気がする.
形として存在しないからこそ、最後まで残るのだろうか
どれだけその人がヒトを愛し、そしてヒトから愛されたか
それが、存在の証なのかもしてない

それは形としてではなく、心の中のみに刻まれるもの
測ることも、見ることもできない
でも存在するもの・・・・
だから最期まで存在し続けられるのかもしれない

私は何によって存在を確認したらいいのか
私はいったい何なのか
これから先、どうしたらいいのか
私の求めるものはどこにあるのか・・・・

一昨日、地元盛岡で中学校の同窓会が行われた。
HPなどを見て、そのときの様子も知ることができた。みんな、楽しそうでとてもよかったし、そんなみんなの様子を聞いてるだけで、自分も楽しくなるくらいのものであった。写真も送ってもらったので、その様子は目で見ることもできた。

2003-08-15

自己と存在

自分の存在は、何によって決められるのか
自分の存在は、何によって確認できるのか

自分が存在するとはいったいどういうことか
自分の存在が他者によって認識されるのはどんなときか
自分が他者によって認識されていることに気づくのはどんなときか

人間の存在は、いったい何なのか
自分が有名になろうとするとき、それは何のためなのか
自分が名声を高めようとするとき、それは自分自身のどんな作用によるものなのか

私自身、自分の存在を確認したくて仕方ないのかもしれない
ヒトから認識されることによって自己を確認したいのかもしれない

人生の最終地点において、それまでの過程における名声や名誉など何の足しにもならない.なぜなら、そこには自分自身の存在しかないから・・・
それなのに、ヒトは存在感を求め続ける

ヒトは生まれたその瞬間から、死に向かって歩き出す
その過程において、ヒトは多くの他者と交わる
どれだけ、その過程において自分の存在を示したとしても最後は独りなのに・・・
最期に残るものは何なのか
最期の最後まで自分の存在を確認してくれるのは誰なのか

自分の人生をそこまで考えたとき、最後に残るのは
愛-love-
のような気がする.
形として存在しないからこそ、最後まで残るのだろうか
どれだけその人がヒトを愛し、そしてヒトから愛されたか
それが、存在の証なのかもしてない

それは形としてではなく、心の中のみに刻まれるもの
測ることも、見ることもできない
でも存在するもの・・・・
だから最期まで存在し続けられるのかもしれない

私は何によって存在を確認したらいいのか
私はいったい何なのか
これから先、どうしたらいいのか
私の求めるものはどこにあるのか・・・・

2003-08-10

自分らしく生きる

もっと自分らしく生きるために、私は何をすべきだろう?
もっと自分らしく生きることができたと感じるために、私は何をすべきだろう?

今わかるとこ・・・
今のままではいけないということ
もっと、日々が可変的でなければならないということ

そうでなければ、毎日同じ安定した日々にただ満足しているに過ぎないような気がするから・・・だから可変的でなければならない。今日の自分に何ができるのか、今の自分に何ができるのか、それを常に考えながら生きていく必要があるのではないか。

一週間後、一ヵ月後の自分が今の自分に満足したとしても、一年後、十年後の自分が満足していなければ意味がない。

東京湾大華祭

行ってきました!東京湾大華火祭!!
先輩が豊海運動公園に場所をとってくれているということだったので,見に行くことに.
一昨年は,レインボーブリッジ上から見ようとぎりぎりに出たものの,19時前に通過してしまい,その後渋滞に突入!渋滞にははまりながら花火を観賞.
昨年は台場海浜公園から・・・
そして今回は豊海運動公園から!

久々に日中,外に出たので光のまぶしさにびっくり.こんなにも外は明るかったのね.何日も日中外に出ていなくて・・・このときの光さえも新鮮そのもの.
台風通過直後で天気は晴れ!気温も上がりにあがっていた.
そんな気温にくじけそうになりながらも,いざ出陣.

17時ぎりぎりに勝どき駅に到着.この時点ですごい人,ひと,ヒト!!
19時まで公園で待機.夕方のレインボーブリッジも素敵だった.

19時から始まった華火の打ち上げ!
やっぱりすごい,東京の花火大会!!
かなり近くであがっていて,音もすごく,これは会場でしか味わえないな~としみじみ実感.
日本の夏らしく感慨深いものを感じた.
日本人はこうして華火の上がるところに自然と集まる.
日本人は華火が好きであり,夏には欠かせないものなのだろう・・・
暗い夜空に響き渡る音,そして咲き誇る大輪の数々.
夜空に咲き誇る大輪を見ながら,みな,何を感じているのか
情緒,風情・・・

私自身も,この雰囲気を心置きなく満喫できた
朝の10時から日焼けをしつつ場所取りをしていてくれた先輩に感謝です(^^)

そして久々の外出,楽しかった

2003-08-09

体調

把握しきれないこの体調
最近ふと原因としての心肥大を思い出し症状をインターネットで検索
思い当たるふしは山ほどありますが、そんなこと、気にしていてはきりがないので、何事も気にしないことに。
生きるときは何もしなくても生きるし、死ぬときはどんなことをしても死ぬ。人間とはそういうものだと思う。

でも、一番心配なのは、大学も休んでばかりで生活も不規則で周りがどう感じているんだろう。こんな自分を見て・・・

あんなやつは研究でも伸びないと感じているだろうか・・・・
管理能力がないと感じているだろうか・・・・
これでは医者になる資格がないと感じているだろうか・・・・

以前、私こんなことを聞いた・・・
これから医者になろうという人がこんな生活じゃ・・・と。

でも、私は言わせてもらいたい。
世の中の医者のどれだけが健康的な規則正しい生活を送っているのだろうか?

どんな人間でも規則的な健康的な生活ができるに越したことはない。それは医者であるか否かにかかわらず世界中の人全員に言えることだろう。だが、どれだけの人がそれを実行できているか?
医者だからそれを実行しなければならないのか?できなければ医者になれないのか?

それは間違っていると思う。医者なら、医者になりたいなら・・・という接頭辞はやめていただきたいと感じている。
ここで自分を正当化しようというつもりはまったくない。もちろん、こんな生活の中からいい結果は生まれない。そんなことわかりきっている。だからこそ自分 は悩み考え込むのである。この生活がいいというのなら、自分は何も考えないし悩まないだろう。でも、私は悩み考える・・・・この生活から脱出するため に・・・・

でも、そのためにはだるさとか調子の悪さとかそういうものを我慢してでも大学に向かう試練を自分が乗り越えなえればならないのかも知れない。

実は精神的なものだったりして・・・
大学に行きたくないとか・・・・

まあ、そんなことはないと信じながら・・・・

この夏休み、明日からの目標
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
規則正しい生活をおくり、毎日大学に行く!
できるだけ朝早い時間から活動できるように工夫する(^^)
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さしあたってこんな感じでいこうと思う。

早速今から、昨日までできずにたまっている課題をこなしていこうかな・・・

台風10号

昨日から天気は大荒れ・・・・
こんな時期に台風なんて。でも久々ですね。
私は、台風って結構好きで、何がいいかって・・・
台風がくる前とか、台風が過ぎた後ってすっごく晴れるんですよ!
すべての雲が流されたように、新しい風が吹き込むようにすっかり天気が変わって、空が晴れ渡るんです!

そんな様子のなかにおかれている自分を客観的に眺めていると、自分自身が大地の大きな自然の中にいることを認識できて世界の大きさを感じます。

地球とはすごいものです(^^)

すでにこの時間、夕日が見えてきました。

ほんと、明日が楽しみです(^^)

2003-08-04

生きるとは -将来-

将来・・・・
最近,自分の未来について再び考えなければならない時期が来ている.

現実として,就職するのであれば10月から就職活動.でも,就職しないなら自分はどうするのか,何をしたいのか・・・今後の人生をどう歩んでいくのか,そ んな人生の岐路に立たされつつある今日この頃.自分の人生を自分で決めてゆくとはいえ,それは自分で責任をとることでもあり,大きなリスクも伴う.人にゆ だねるということができない自分としては,それを自己責任のもとで実行していく.これは,面白いことでありながら,なかなか大変なことでもある.

やりたいこととできること.

ここまで生きてくると,さすがに“自分にできること”が“やりたいこと”を含まなくなってくると感じてしまう.ここで,“感じてしまう”と書いたのは, “含まない”とは言い切れないからである.幼い頃は気にしなくてもよかったことだけれど,大学進学をする頃から,なんとなく自分自身に見えてくる限界,現 実を突きつけられるようになってきた.どこかで味わう敗北感.そして挫折.自分にどのくらい秘められた能力があるのか,どこまで自分を信じて頑張っていけ ばいいのか・・・・

私は,根本的には
“何事もやればできる”
と思っている.今でも,そう思っている.でも,現実はどこまで時間内に限られた条件下でできるかなのである.でもそれを無理である"理由”にしたくはない.だから,今以上に頑張ろうと思うのかもしれない.

私が本当にしたいことは何なのか,私にできることは何か・・・・


今,私が無理をする理由・・・・

認めて欲しい人に,一人の人間として認められていないように感じるから

ただそれだけの理由に過ぎないような気がする.特に今は.

私はいつこの命が終ろうとも後悔しない.
そのつもりで毎日を生きている.
生きるとは“死”に向かうこと.死を考えることは,生を見つめることそのものである.
頑張ることと無理をすることはちがう.
そんなことは,わかっている.わかりきっている.でも,頑張らずにはいられない.無理しているように見えようとも頑張らずには生きていけない自分がここにいる.明日死んでも今日までのことを後悔したくないから.

生きるとは -将来- part2

後悔しない人生・・・・

そんな人生の先行きを考える時,私はいつも独りである.どんなときでも独り・・・・・
やはり私に与えられた人生というのは,そういうものなのだろうか.
何事も,一人で頑張っていけと言われているようである.

もちろん,物事は一人では行えない.今まで生きてきた過程においても“一人で”何でもできたわけでは決してない.誰かが,必ずいてくれて協力してくれた. けれど,そのような物理的なものではなく精神的なものではずっと一人だったのかもしれない.特に“生きる”ということに関して,ある時期を過ぎてから は・・・・・


現在目の前に突きつけられている問題
それは恋愛感情の方向性.いつまでも逃げていられないから,何とかしたいと思うこの恋愛に対する自分自身の感情のコントロール.何事にも一喜一憂している自分が馬鹿らしい.でも,そんな自分がここにいる.頭では理解しているのに,心が伴わない.


もっと精神的に“大きな”人間になりたい.
そしたら,私はもっと精神的に楽に生きられるし,“生きる幅”が広がると思う.そして,今はまとまりのない上記のことが,うまくまとまって解決していくような気がする.

こうやって,一つ一つ,自分の内に生じる問題を解決していくごとに人間は成長していくのかもしれない.