自分の存在は、何によって決められるのか
自分の存在は、何によって確認できるのか
自分が存在するとはいったいどういうことか
自分の存在が他者によって認識されるのはどんなときか
自分が他者によって認識されていることに気づくのはどんなときか
人間の存在は、いったい何なのか
自分が有名になろうとするとき、それは何のためなのか
自分が名声を高めようとするとき、それは自分自身のどんな作用によるものなのか
私自身、自分の存在を確認したくて仕方ないのかもしれない
ヒトから認識されることによって自己を確認したいのかもしれない
人生の最終地点において、それまでの過程における名声や名誉など何の足しにもならない.なぜなら、そこには自分自身の存在しかないから・・・
それなのに、ヒトは存在感を求め続ける
ヒトは生まれたその瞬間から、死に向かって歩き出す
その過程において、ヒトは多くの他者と交わる
どれだけ、その過程において自分の存在を示したとしても最後は独りなのに・・・
最期に残るものは何なのか
最期の最後まで自分の存在を確認してくれるのは誰なのか
自分の人生をそこまで考えたとき、最後に残るのは
愛-love-
のような気がする.
形として存在しないからこそ、最後まで残るのだろうか
どれだけその人がヒトを愛し、そしてヒトから愛されたか
それが、存在の証なのかもしてない
それは形としてではなく、心の中のみに刻まれるもの
測ることも、見ることもできない
でも存在するもの・・・・
だから最期まで存在し続けられるのかもしれない
私は何によって存在を確認したらいいのか
私はいったい何なのか
これから先、どうしたらいいのか
私の求めるものはどこにあるのか・・・・
一昨日、地元盛岡で中学校の同窓会が行われた。
HPなどを見て、そのときの様子も知ることができた。みんな、楽しそうでとてもよかったし、そんなみんなの様子を聞いてるだけで、自分も楽しくなるくらいのものであった。写真も送ってもらったので、その様子は目で見ることもできた。
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